彼の温もりが、こんなにも鮮明に蘇るなんて思わなかった。
私には、愛する夫と、穏やかで満たされた日常がある。何不自由なく、幸せだと思っていた。あの日、カフェの窓から差し込む光の中で、彼を見つけるまでは。
彼は、私の大学時代の恋人、ユウキだった。別れてから、もう10年以上が経っていた。まさか、こんな場所で再会するなんて。彼の瞳は、あの頃と同じ、少しだけ切なさを帯びた優しい瞳だった。
「…〇〇?」
彼の声は、あの頃より少し低くなっていたけれど、私の心臓は、あの頃のようにドクンと大きく鳴った。彼の口から自分の名前が出ただけで、私の心は、何年も前にタイムスリップしたみたいだった。
私たちは、カフェのテーブルを囲んで、たくさんの話をした。お互いの近況、仕事のこと、そして、それぞれの家庭の話。彼の左手の薬指には、私と同じように、結婚指輪が光っていた。その指輪を見るたびに、私の胸はチクリと痛んだ。私たちの間には、越えられない壁が、いくつもある。
カフェを出て、私たちは雨が上がったばかりの街を歩いた。二人で並んで歩くのは、本当に久しぶりだった。隣を歩く彼の腕が、私の腕にかすかに触れるたびに、電流が走るようなドキドキを感じた。
「あのさ…」
彼が、少しだけ声を震わせた。私は何も言えずに、ただ彼の横顔を見つめた。
「…会いたかった」
彼の言葉が、私の耳に響いた瞬間、私の心の中に、閉じ込めていた何かが、音を立てて溢れ出した。会いたかった。その言葉は、私が誰にも言えずに、心の奥底にしまっていた、私自身の本音だった。彼の言葉に、私の目からは、止めどなく涙が溢れ出した。
彼は、何も言わずに、ただ私の涙を拭ってくれた。そして、あの頃と同じように、私の手をそっと掴んだ。
彼の掌は、あの頃よりも少し大きくて、指の節がごつごつしていた。でも、その温もりは、私の記憶の中の温かさと全く同じだった。彼の指が、私の指の隙間にゆっくりと絡んで、そして、しっかりと私の手を握りしめてくれた。彼の温かさが、私の手のひら全体にじんわりと伝わってきて、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
彼の温もりは、私にとっての「禁断の果実」だった。手をつなぐたびに、胸の奥が温かくなる。でも、同時に、夫や家庭への罪悪感で、私の心は引き裂かれそうになる。この温もりは、私を幸せにしてくれるけれど、同時に、私の大切な日常を壊してしまうかもしれない。
大人の再会は、こんなにも切なくて、残酷だった。誰にも言えない、この秘密の関係が、これからどうなっていくのか。私は、彼の温かい手を握りしめながら、その先の未来に、ただ怯えていた。