蝉の声が降り注ぐ、うだるような夏の午後。リビングのソファで、私は読みかけの雑誌を膝に置いて、ぼんやりと庭を眺めていた。もうすぐ、息子が友達を連れて帰ってくる時間だ。いつもの日常。いつもの夏。そう思っていたのに、あの日から、私の心は、まるで熱い砂漠に迷い込んだように、乾いて、そしてざわめくようになった。
彼の名前は、ユウキ。息子の幼馴染で、昔からよく家に来ていたけれど、最近はすっかり背が伸びて、声も低くなって、すっかり大人びていた。すらりとした手足に、少し癖のある黒髪。そして、何よりも、その真っ直ぐで、時々私を射抜くような眼差し。
その日も、息子とユウキが、汗だくになってサッカーボールを追いかける声が庭から聞こえていた。私はキッチンで麦茶を用意しながら、ふと窓の外に目をやった。ユウキが、ボールを追いかけて、私のほうに走ってくる。その瞬間、彼が私と目が合った。彼は一瞬、はっとしたように動きを止め、それから、少し照れたように、でも真っ直ぐに、私に微笑んだ。その笑顔が、あまりにも無垢で、そして、私の心に深く突き刺さった。
「おばさん、麦茶、ありがとうございます!」
リビングに戻ってきたユウキが、コップを受け取りながら、私の顔をじっと見つめた。彼の視線が、私の頬を、首筋を、熱くしていく。息子は隣でゲームの話をしているのに、私の意識は、ユウキのその視線に釘付けだった。彼の、少し湿った髪から、夏の太陽と、若い男の子特有の、爽やかな汗の匂いがした。その匂いが、なぜか私の胸を締め付ける。
「どういたしまして。たくさん飲んでね」
そう言うのが精一杯で、私は慌てて視線を逸らした。こんな感情、あってはいけない。彼は、息子の友達。私にとっては、まだ子供のような存在で、守ってあげるべき存在なのに。なのに、彼の真っ直ぐな瞳を見るたびに、私の心は、まるで初めて恋をした少女のように、激しく波立つ。
ある日、息子が熱を出して学校を休んだ時、ユウキがプリントを届けに来てくれた。玄関で彼と二人きりになった時、私の心臓は、ドクドクと不規則な音を立てていた。
「大丈夫ですか?おばさん、顔色悪いですよ」
ユウキが、心配そうに私の顔を覗き込んだ。彼の指が、私の頬に触れそうになる。その寸前で、彼はハッと気づいたように手を引っ込めたけれど、その一瞬の距離の近さに、私の体は硬直した。彼の吐息が、私の肌にかかる。それは、夏の熱気とは違う、甘くて、少しだけ切ない熱だった。
「あ、大丈夫よ。ありがとう、ユウキくん」
私は、精一杯の笑顔を作って、彼の視線から逃れるように俯いた。彼の視線が、私の全身を包み込むようで、息が苦しくなる。こんなにも、彼の存在が、私を揺さぶるなんて。自分の感情が、まるで制御できない暴走列車のように、どんどん加速していくのを感じた。
彼が帰った後も、玄関に残る彼の匂いと、触れそうになった指先の感覚が、ずっと私の脳裏に焼き付いていた。私は、鏡に映る自分を見た。もう若くはない、ただの主婦の顔。こんな私が、彼のまっすぐな瞳に、こんな感情を抱いてしまうなんて。罪悪感と、どうしようもない切なさが、胸いっぱいに広がった。
夜、夫が隣で眠っているのに、私は一睡もできなかった。瞼を閉じると、ユウキの笑顔が、彼の視線が、そして、触れそうになった指先の感触が、鮮明に蘇る。これは、許されない恋。誰にも言えない、私だけの秘密の感情。
彼の眼差しが、私の日常を揺らしたあの日から、私の世界は、音もなく色を変えてしまった。夏の陽射しは、ただ眩しいだけじゃなく、彼の存在を際立たせるように輝き、蝉の声は、私の心のざわめきを代弁しているようだった。この感情を、どうすればいいんだろう。答えの見えない問いが、私の心を締め付け続ける。彼の存在は、私にとって、甘くて、そして、あまりにも危険な、夏の幻だった。