君となら、どんなステージでも

第1章:孤独とログイン

 その日も、私は誰とも話さずに講義を終えた。

 春なのに、風は冷たくて、大学の構内には新入生らしい華やかな声が響いていた。だけど、私はその輪の中にはいない。通い慣れたベンチの端に腰掛け、リュックからスマホを取り出す。画面をタップして、通知の数を確認する。誰からのメッセージもない。ため息をついたあと、私は指先でアプリのアイコンを押した。

『VOID CHRONICLE』

 それが、今の私にとって唯一の“つながり”だった。

 キャラクター選択画面には、私の分身“Liora”が表示されている。白いフードの弓使い。ゲーム内でも誰かと深く関わるのは得意じゃなかったけど、それでもLioraを通じてなら、少しだけ人と関われる気がした。

 今日はランキングイベントの2日目。上位50人には特別な称号と、ゲーム内アイテムが配布される。1人プレイでは限界があるのは分かっていたけれど、それでも私は誰にも頼らずに、弓を構え続けてきた。現実と同じように。

 戦闘開始。敵は高速で突進してくる獣型モンスター。タイミングよくスキルを重ねて……数秒の油断が命取りだ。私は画面にかじりつくようにして、必死で指を動かす。

 ──敗北。

 画面には赤い文字で「Defeated」の文字が点滅する。

「……また、だめか」

 思わず声が漏れる。もう何度目の挑戦だろう。スタミナは減り、気力も削がれていく。

 そのとき、画面の右下に小さな通知が現れた。

《YUZUさんからフレンド申請が届いています》

 見慣れない名前だった。でも、どこかで見覚えがある。ランキング上位の常連……確か、いつもTOP10に入っているプレイヤーだ。

 ──なんで、私に?

 戸惑いながらも、私は申請を承認した。すると、すぐに個別チャットが届く。

《こんばんは。プレイ見てました。もしよければ、一緒にやりませんか?回復役、空いてます》

 文面は丁寧で、煽りもない。まっすぐで、温かみすら感じる。

 ……一緒に?

 迷った。知らない人とパーティを組むのは、正直怖い。何か言われるかもしれない。上手く動けずに迷惑をかけたら、また自己嫌悪に陥るかもしれない。

 でも。

 ──このまま一人で挑み続けても、限界なんじゃない?

 気づけば、私は返信を打っていた。

《よければ、お願いします》

 それが、私と“YUZU”との、最初の接続だった。

第2章:チャットの温度

 YUZUと組んだ最初のダンジョンは、驚くほどスムーズだった。

 私は基本的に遠距離から攻撃を担う弓使い、彼は回復とバフをメインに使う聖職者。何も指示を出し合っていないのに、彼は私の動きに合わせて回復や支援を飛ばしてくれた。まるで、長年のコンビみたいに。

 戦闘が終わったあと、画面の端にふとチャットが表示される。

《ナイスプレイでした!》

 私は少しだけ悩んでから、返信を打った。

《そっちこそ、回復すごく助かりました》

 それが、はじまりだった。

 その日を境に、私たちは毎晩のように組むようになった。プレイの前には「こんばんは」、終わったあとは「おつかれさま」。時には装備の相談、次のイベントの予想、好きなキャラの話まで。

 チャットはどんどん長くなっていって、それはまるで、現実の私の生活にぽっかり空いた“話し相手”の場所を埋めてくれるようだった。

 ある晩、YUZUがこんなことを言った。

《今度のレイド、深夜なんですよね。リアルきついなぁ》

《夜型だから平気。いつも夜遅くまで起きてるし》

《じゃあ、通話とかします?打ち合わせも兼ねて》

 通話。ゲーム内のボイスチャット。

 私は思わずスマホを見つめた。自分の声が誰かに届くなんて、久しくなかったから。

 数秒、迷ったあと──私は「はい」と返事を打った。

 初めての通話は、意外なほどあっさり始まった。

「……あ、聞こえてます?」

 彼の声は、想像よりも少し低くて、でも優しげだった。どこか間の取り方が自然で、私は緊張しつつも心が落ち着くのを感じていた。

「聞こえてます、私の声……大丈夫ですか?」

「ああ、全然平気。ていうか、声かわいくてびっくりした」

 そんなふうに言われたの、いつぶりだっただろう。

 通話をつないだまま、私たちは何度かダンジョンを回った。ちょっとした作戦、アイテムの使いどころ、無駄話……どれも新鮮で、どこか心がくすぐられるようだった。

 そして気づいた。

 ──彼の声を、ずっと聞いていたいと思っている自分に。

 画面の中のキャラクターが戦っているのに、私の心は、彼の“声”の温度に、ゆっくりとほどけていった。

第3章:深夜のダンジョン

 週末の深夜、時計はすでに1時を過ぎていた。
 リビングの明かりを落とし、私はベッドに潜り込んでスマホを手に取った。通知が一つ、画面に浮かぶ。

《準備できました。通話いつでもOKです》

 ──YUZU。

 ゲーム内で開催される「ナイトレイド」は、深夜2時限定の高難度イベント。報酬も豪華だが、戦力を大きく求められるため、野良ではほぼ攻略不可能とされていた。

「こちらも準備完了。かけますね」

 私は少しだけ緊張しながら、ボイスチャットを接続した。

「やあ、こんばんは」

「……こんばんは」

 布団の中、ヘッドホン越しに届く彼の声は、いつもより少しだけ低くて柔らかい。寝る前のトーンだ、と私は気づいた。

 そして、それが妙に心地よかった。

 戦闘が始まるまでの数分間、私たちは他愛もない話をした。バイト先でのトラブル、大学のオンライン授業、最近ハマってるドラマ──。

 通話って、こんなに自然だったっけ?

 私はつい、何度も彼の声に返事をしてしまう。
 彼はうまく相槌を打ってくれて、それだけで安心できた。

「莉央さんって、話し方がすごく落ち着いてる。夜にぴったりって感じ」

「……褒めてます?」

「もちろん」

 少しだけ笑っている気配がヘッドホン越しに伝わる。
 私は、顔が熱くなるのを感じながらも、画面に集中しようと意識を切り替えた。

 いよいよナイトレイドが始まる。

 強力なボスモンスターが出現し、他プレイヤーたちと即席のチームを組んで挑む。指示も連携も求められる、過酷な戦場。

「右下、回避お願い。今バフ入れた」

「うん、回った……今撃つね」

 YUZUの声が絶えず指示を飛ばす。私は反射的に動く。それが、ぴたりと噛み合った。

 ──やっぱり、この人とだとやりやすい。

 ミスがなく、息も合い、まるで何百戦も一緒に戦ったかのような感覚。
 気がつけば、私たちはリーダーボードの上位に食い込んでいた。

「ラストいける、火力集中!」

 彼の声に、私は全神経を指に込めて操作する。矢が飛び、スキルが連鎖し、ついに──

 《Boss Defeated!》

 画面に勝利の文字が光る。
 達成感と、そして通話の向こうから静かに聞こえる彼の笑い声。

「すごかったね、莉央さん。完璧だった」

「……ううん、YUZUさんの指示が的確だったから」

「もう“さん”付けいらないでしょ。YUZUでいいよ」

 少しの沈黙。私は迷いながらも、そっと口にした。

「……じゃあ、YUZU、ありがとう」

 その瞬間、彼が優しく笑ったような気がした。
 深夜の、静かすぎる夜に、たった一つのぬくもりが、心に届いた気がした。

 ──私は、YUZUの声が好きだ。

 そんな想いが、静かに胸の奥に芽生えていた。

第4章:リアルの気配

 YUZUと話すのが、日常になっていた。

 講義が終わればスマホを開く。帰り道ではイヤホンを片耳に。夜になれば通話しながら一緒にゲームをプレイする。
 そのルーティンが自然と体に染みついていて、YUZUの声がない夜なんて考えられなかった。

 だけど──。

 現実の私は、相変わらず孤独だった。

「佐伯さんって、あんまり喋らないよねー」

 大学のグループワークで、隣の女子が小声で笑った。私は苦笑いだけ返し、目を伏せる。
 人と関わるのが苦手で、話しかけられても気の利いた返しができない。だから余計に、人と距離ができてしまう。

 昼休みは一人。図書館の隅で、パンをかじりながらスマホの通知を見る。
 YUZUからの「今日いけそう?」というメッセージだけが、心の中を少しだけ温めてくれる。

 ──現実の私は、こうなのに。

 ゲームの中では、少しだけ強くなれた。
 誰かと対等に言葉を交わせて、自分の判断が役に立つこともあって。YUZUは、それを認めてくれる。

 だけどそれは、Lioraというキャラクターの力なのか、私自身の力なのか──わからなくなる瞬間もあった。

 週末の夜、通話中に、YUZUがふと聞いてきた。

「莉央って、普段はどんな感じなの?」

「え?」

「いや、ゲームじゃなくて。学校とか、バイトとか、趣味とか」

 沈黙。何を話せばいいのかわからなかった。
 どこにでもいる大学生。友達が少なくて、人混みが苦手で、カフェの注文ですら緊張してしまう。

 だけど、勇気を出して言った。

「……あんまり話すの得意じゃない。人付き合いも。基本、ひとりが多いかな」

「……そっか。なんか、ちょっと意外かも」

「うん、よく言われる」

 YUZUはしばらく黙っていた。でも、その沈黙が責めるようなものじゃないことは、彼の息遣いでわかった。

「俺さ、そういうの、いいと思うよ。誰とでも話せる人が偉いわけじゃないし」

 ──優しい。

 その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
 YUZUの声は、現実の誰よりも、私の弱さに寄り添ってくれていた。

「莉央って、ちゃんと自分のこと、わかってるんだな。そういうの、かっこいいよ」

 思わず、画面の向こうを見つめた。そこに彼の顔は映らないけれど、私の心は確かに触れられた気がした。

 ゲームの中の“仲間”だった彼が、少しずつ、“現実”に近づいてきている。
 私は、そんな風に感じ始めていた。

 ──この人に、会ってみたい。

 そう思ったのは、その夜が初めてだった。

第5章:会いたい気持ち

 「会ったこと、ある?」

 その夜、何気ない通話の中で、YUZUが唐突にそう聞いてきた。

「えっ?」

「ゲームで仲良くなった人と、リアルで会ったことある?」

「……ないよ、そういうの。怖いし」

 私は正直に答えた。人と関わるのが得意じゃない私にとって、現実で人と顔を合わせるというのは、とても高いハードルだった。

「だよね。俺も、ないんだけどさ」

「うん」

「でも、莉央とは……なんか、話してると顔が見えないのが不思議なくらいでさ」

 声が少しだけ照れているように聞こえた。
 私の胸の奥がきゅっと縮まる。会いたい。でも、怖い。
 この関係が壊れてしまったらどうしよう、そんな不安も同時に湧いてくる。

 スマホのスピーカーから流れる彼の声は、変わらず優しくて、現実と接続された糸のように、私の心を手繰り寄せてくる。

「莉央のこと、もっと知りたいなって思ってる。ゲームの中だけじゃなくて」

 私は、息を呑んだ。

「……私も」

 その一言を返すまでに、何度も何度も、心の中で言葉を練り直した。
 ようやく口に出せたとき、私はほんの少し泣きそうになっていた。

 数日後。VOID CHRONICLEの運営から、ひとつの通知が届いた。

《アップデート記念・オフラインイベント開催決定!》

 ──公式オフ会。

 ゲーム内での戦績が条件で参加できる、東京でのリアルイベント。
 現役ランカーであるYUZUは、当然招待対象に入っているだろう。私も、ギリギリで条件を満たしていた。

 このチャンスを、どう受け止めるべきか。
 葛藤していた私に、YUZUからメッセージが届いた。

《オフ会、俺、行ってみようと思う。莉央は……?》

 短い文章だったけれど、そこには確かに「誘い」が含まれていた。
 私は、スマホを握りしめたまま、しばらく何もできずにいた。

 行けば、会える。
 でも、会ったら──嫌われるかもしれない。

 声だけで築いた関係。
 画面越しだから許された沈黙や弱さが、現実の私をさらけ出したときに壊れてしまうかもしれない。

 だけど、それでも。

 私は会いたいと思っていた。

《……行く。会いに、行くよ》

 ようやく返したそのメッセージの送信ボタンを押すとき、手が少し震えていた。
 だけど、心の奥には、初めて芽生えた“期待”が小さく灯っていた。

 ──私は、彼に会いに行く。

 ゲームの中じゃなくて、本当の、現実の世界で。

第6章:オフ会の招待状

 オフ会まで、あと二週間。

 現実の東京で開催されるゲームの大型イベント──VOID CHRONICLEファン感謝祭。
 選ばれたプレイヤーだけが入場できるその場に、私とYUZUは、揃って招待されていた。

 通知が届いた夜、私は布団の中でスマホを握りしめたまま眠れなかった。
 彼に、会う。その決意を自分で打ったはずなのに、体の奥底ではずっと恐れが渦巻いていた。

「なに着ていこう……」

 そんなこと、誰かと会う前に考えたのは、いつぶりだっただろう。
 クローゼットの前で何度も服を合わせ、鏡の前で髪を直してみる。
 自分に似合う色も、目立ちすぎない格好も、わからない。だけど、変な姿は見せたくなかった。

 ──初めて、“好きな人に会う”準備をしている気がした。

 YUZUとは、その間も毎日通話を続けていた。
 だけど、お互いにオフ会のことにはほとんど触れなかった。
 話すと、余計に意識してしまうから。声の向こうにいる“彼”が、現実に存在していることが、どんどん現実味を帯びてきていた。

「当日、どんな感じで待ち合わせる?」

 ついに、YUZUのほうから切り出してくれたのは、オフ会の三日前。

「会場のカフェラウンジ、知ってる? 入口に大きい柱時計があるから、その前で」

「……わかった。うん、それなら大丈夫」

 心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。
 彼の声が、これまででいちばん“近く”に感じられた。

 そして、当日がやってきた。

 朝、目覚ましより早く目が覚めてしまった。緊張で朝食も喉を通らず、何度も鏡の前で自分を確認した。
 電車に揺られ、東京の大きな駅で人の波に揉まれながら、私は会場へと向かった。

 駅を出た瞬間、YUZUからメッセージが届いた。

《もうついた?俺、先に入ってるよ。焦らなくていいからね》

 その一文に、少しだけ肩の力が抜けた。
 ──相変わらず優しい人だ。

 指定されたカフェラウンジは、想像以上に静かで落ち着いた場所だった。
 奥に進むと、確かに柱時計があり、その前に、ひとりの男性がスマホを見て立っていた。

 ──あの人、かな。

 ゲーム内のアイコンと、声の記憶と、何よりも私の直感が告げていた。
 彼の顔は画面越しに見たことはなかった。でも、そこにいたのは間違いなく、“YUZU”だった。

「……YUZU?」

 声をかけると、彼がこちらを振り向いた。

 目が合った。その瞬間、胸の奥がぎゅっと掴まれるような感覚が走った。声は何度も聞いたはずなのに、顔を見た瞬間、それが現実になったと感じた。

「莉央……だよね?」

 私は、こくんと頷いた。
 心臓が破裂しそうだった。でも、不思議と、怖くなかった。

「……会えて、よかった」

 YUZUが、ゆっくりと笑った。

 その笑顔を見たとき、私は思った。

 ──ああ、やっぱり、この人なんだ。

 ゲームの中で何百回と一緒に戦ってきた人。
 画面の向こうで、優しい声をくれた人。

 それが、今、目の前にいる。

 やっと、会えたんだ。

第7章:初めての顔合わせ

 カフェラウンジの片隅、重ねたカップの湯気が、ふたりの間に静かに漂っていた。

「なんか……緊張するね」

 思わず口をついて出たその一言に、YUZU──いや、本名を名乗ってくれた“柚木悠真”は小さく笑った。

「うん、俺も。すごく変な感じ。毎日話してたのに、会った瞬間はじめましてって……不思議だよね」

 その声は、変わらなかった。
 イヤホン越しに何度も聞いていたあの落ち着いた声。
 現実の喧騒の中でも、それだけはちゃんと届いていた。

 悠真は、清潔感のあるラフなシャツに、細身のジーンズというシンプルな服装だった。
 どこか垢抜けない雰囲気も、柔らかい髪も、思っていたよりずっと“普通”で、でもそこが、妙に安心できた。

「思ってたより、可愛い人でびっくりしたよ」

 悠真が言ったその一言で、私は思わず目を逸らした。
 頬が火照るのが分かる。

「……やめて。言い慣れてないんだから、そういうの」

「ごめんごめん。でも、本当に思ったことを言っただけ」

 私たちは、ゲームの話をした。
 ランキングイベントの攻略方法、最近のアップデート、他のプレイヤーたちの噂。
 だけど、不思議とそれは“初対面の会話”じゃなかった。

 何度もプレイを共にし、何時間も通話をしてきた。
 知らない顔でも、知らない人じゃない。
 ──その実感が、会話の流れに自然と現れていた。

「ちょっと、散歩しない?」

 食事を終えたあと、悠真が提案してくれた。
 会場近くのビル群の合間を、私たちは並んで歩いた。
 言葉は少なくても、なんとなく気まずくならなかったのが不思議だった。

「莉央ってさ、歩くときも静かなんだね」

「……うるさくないだけ」

「それ、褒め言葉にしか聞こえないんだけど」

 ふっと笑う声が、耳に残った。

 ふと、立ち止まったとき──悠真が、ポケットから何かを取り出した。

「これ、オフ会の記念品だけど。もうひとつあるから、莉央にあげるよ」

 それは、VOID CHRONICLEのロゴが入った小さなキーホルダーだった。
 硬くて冷たい金属の輪っか。だけど、それを渡してくれた彼の手は、優しくて温かかった。

「ありがとう……大事にするね」

 そのときだった。

 周囲の喧騒がふと遠のいたような、そんな感覚。
 彼と、同じ空気を吸っていることが、たまらなく不思議で、愛おしかった。

 ──ああ、私は本当に、この人に惹かれてるんだ。

 画面越しの関係なんかじゃ、もう満足できない。
 彼の隣で、笑っていたい。話していたい。触れていたい。

 そんな気持ちが、抑えきれないほどに膨らんでいた。

第8章:コンビネーション最強説

 オフ会から帰ってきた夜、私はベッドに横になりながら、ぼんやりと天井を見上げていた。

 あの日、YUZU──悠真と会ったことは夢じゃなかった。
 同じ空間で話して、笑って、歩いた。キーホルダーはまだバッグの中で、彼の声は耳に残っていた。

 なのに、現実の生活に戻った瞬間、それが遠い世界の出来事だったかのように思えてしまうのが怖かった。

《今日、少しだけログインできる?》

 そのメッセージを見た瞬間、心がふわっと浮いた。

《うん、大丈夫。準備する》

 通話もつなぐ。イヤホンの向こうに、あの声がある。
 何気ない会話。オフ会の感想、会ったときのこと。改まって話すことでもないのに、どこか照れくさかった。

「また、会いたいね」

 ぽつりと、悠真が言った。

「うん……私も」

 それだけのやりとりが、妙に嬉しかった。

 それからの私たちは、以前よりももっと密接にゲームを進めるようになった。
 連携が、驚くほど滑らかだった。言葉にしなくても、どちらが何をしたいか、次の動きが読める。
 “息が合う”ってこういうことを言うんだと、プレイしながら実感していた。

「莉央、今バフかけた、スキル繋げて」

「了解、入れるよ。3、2、1……撃った!」

 攻撃が繋がり、画面に与ダメージが跳ね上がる。
 ランキングイベントでは、私たちは常に上位をキープしていた。

 いつしか、フレンドたちの間でも“最強コンビ”と呼ばれるようになった。

《YUZUとLioraの連携、反則でしょw》
《付き合ってる説ある》
《息ぴったりすぎて嫉妬する》

 そんなチャットに照れながらも、どこか誇らしかった。
 ──だって、それは全部、本当だから。

 ある夜、戦闘後の休憩中。通話が静かになったとき、悠真がぽつりと口にした。

「莉央と出会ってから、俺の生活変わった気がする」

「……え?」

「前は仕事以外、全部だるくて、何も楽しめなかったんだ。でも今は、毎日がちょっとだけ、楽しみになった」

 それは、私も同じだった。

「私も……悠真がいてくれるから、ひとりじゃないって思える」

「……それ、俺にとって一番嬉しいかも」

 私たちは、画面の中でも、外でも。
 誰よりも強く、繋がっていた。

 “コンビネーション最強”──それは、戦いだけじゃなくて、心のことでもあった。

第9章:ランキング1位の夜

 イベント最終日の夜は、どこか特別な緊張感に包まれていた。

 VOID CHRONICLEの月間ランキング争いは、最終日のスコアによって大きく順位が変動する仕組みになっている。
 この一ヶ月、私と悠真は毎日のようにプレイして、上位に食い込み続けた。

 でも──1位は、まだ一度も取ったことがない。

 目の前にある“頂点”まで、あと少し。
 その距離が、手のひらに収まりそうで怖いほど近く感じられた。

「……いよいよ、だね」

 通話越しに聞こえる悠真の声は、いつになく落ち着いていた。
 でも、その奥には、いつも以上に張りつめた静かな熱があった。

「緊張してる?」

「うん。たぶん、心臓の音、マイクに入ってる」

「大丈夫。今日の莉央、絶対強いから」

 その言葉に、胸がぎゅっとなった。
 “信じてくれている”って、こんなに力になるものなんだ。

 画面の中、フィールドには最強難度のボスが現れる。
 タイムアタック形式のスコアバトル。全プレイヤーの注目が集まる中、私たちはペアで挑む。

「3、2、1──いこう」

 スキル回しは完璧だった。
 バフとデバフのタイミング、回避と攻撃の切り替え、全てが一体となって動く。
 悠真の回復は、まるで私のミスを予知していたかのように正確で、私はそれに導かれるように攻撃を叩き込む。

 ──あと少し。

 残りHP10%。集中力が限界に近づく。

「いける、莉央。撃って!」

「うん!」

 最後のスキルが炸裂し、モンスターが爆発する。

《Boss Defeated!》

 表示されたスコアが、画面の中央に浮かび上がる。

 ──1位。

 私の手が震えた。画面の数字が、現実味を帯びてこない。

 そして、通話の向こうで、小さく息を飲む音が聞こえた。

「莉央……やったね。1位、だよ」

「うそ……ほんとに……?」

「ほんと。俺たち、1位だよ」

 その瞬間、私は泣きそうになった。
 誰かと一緒に、こんな気持ちを味わうのは、生まれて初めてだった。

「悠真……ありがとう。ずっと、一緒にいてくれて」

「莉央……俺、ずっと言いたかったことがあるんだ」

 胸が高鳴った。鼓動の音で、自分の耳がよく聞こえない。

「俺、莉央のことが好きだ。ゲームの中だけじゃなくて、現実でも。毎日、君と一緒にここまで来た時間が、俺にとって全部特別だった。ずっと、ちゃんと想ってた」

 息が止まりそうになった。

「……私も。好き。悠真がいたから、ここまでこれた。だから──」

 言葉の途中で、私はスマホを胸に抱きしめた。

 画面の向こうにいる彼に、抱きしめられている気がした。

 この瞬間、私たちは“ただのプレイヤー”じゃなかった。
 同じ世界で、同じ時間を、同じ想いで、駆け抜けた恋人同士だった。

第10章:君と、ログインし続けたい

 ランキング1位を獲った夜、私は眠れなかった。

 布団の中でスマホの画面を見つめながら、悠真と交わした言葉を何度も反芻していた。
 「好きだ」なんて、現実で言われるなんて思っていなかった。
 ゲームの中で出会って、通話を重ねて、会って、同じ景色を見て……気づけば、私はもうとっくに恋をしていた。

 翌日、悠真から1通のメッセージが届いた。

《少し会えないかな?少しだけ、話したくて》

 ドキンと胸が跳ねた。
 あれは一時の熱じゃなかったんだ。私は慌てて返信した。

《もちろん。どこ行く?》

 待ち合わせ場所は、最初に会ったカフェラウンジだった。
 あの日と同じように、柱時計の前に悠真が立っていて、私を見ると、少し照れたように笑った。

「莉央……やっぱり、ちゃんと言いたくて」

 彼は、私の手を取った。
 人の目が気になって、思わず手を引こうとしたけれど、彼は優しく包むように指を重ねてくれた。

「俺ね、ゲームで1位になったことより、莉央と一緒にそこを目指せたことの方が、何倍も嬉しかった」

 声が、震えていた。

「莉央がいたから、頑張れた。毎日が変わった。ずっと、そばにいたいと思った」

 私は黙って、彼の目を見た。

「私も……悠真といたから、強くなれた。自分のこと、少しだけ好きになれた」

 風が吹いた。コーヒーの香りがかすかに漂っていた。
 周囲のざわめきが遠のいて、私たちの世界だけが、そこにあった。

 そして──

 彼が、そっと私の頬に触れた。

「……キス、していい?」

 私は、目を閉じた。

 唇が触れ合ったその瞬間、時間が止まったような気がした。
 痛みも、不安も、孤独も、全部そのキスが溶かしていくようだった。

 短くて、優しいキスだった。

 でも、私の中では永遠に残ると確信できるような、温もりだった。

 帰り道、私たちは手をつないだまま、何も言わずに歩いた。
 スマホは鞄の中にしまったまま。
 でも、それでも私たちは繋がっていた。

 そして、家に帰ったあと。

 私はスマホを開いて、『VOID CHRONICLE』のログイン画面を見つめた。

 ──もう一人じゃない。

 これからも一緒に、いろんなフィールドを歩いていく。
 勝っても、負けても、泣いても、笑っても。
 この人となら、きっと、どんなステージでも越えていける。

 画面をタップして、私は言った。

「ログイン、完了──今日も、一緒にいこうね」

(完)