ありがとう、あなたに出会えたこの世界に。

入院生活が3ヶ月目に入ったころ、私はもう「生きていたくない」と思っていた。

 誰にも言えなかったけど、毎日、点滴の針を見るたびに「このまま眠るように終わればいいのに」と願っていた。
 病名は特別なものじゃない。再発を繰り返す難病。治療法はあっても、完治は難しい。
 周りは「希望はあるよ」って言ってくれるけど、その“希望”がいつ来るかも、来ないかもしれない現実を、誰も直視してくれなかった。

 そんなある日──
 病棟の談話スペースに、一人の男の子がいた。

 大きなマスク。薄いキャップ。点滴をぶら下げながら、ノートに何かを描いていた。
 私がソファに腰掛けると、彼はふっと顔を上げて、目だけで微笑んだ。

「こんにちは」

 声がとても優しかった。

「……こんにちは」

 誰かと話すのは、ひさしぶりだった。

 それから、何日かして、また彼と会った。今度は、向こうから話しかけてきてくれた。

「ここの夕焼け、きれいだよ。東側の窓から見えるんだ」

 私は、その夕焼けを見たことがなかった。

 毎日、カーテンを閉めたままのベッド。
 空なんて、見ても意味がないと思ってた。

 でも、その日だけは、病室のカーテンを開けてみた。
 オレンジ色の光が、ベッドの白いシーツに滲んだ。泣きそうになった。

 次の日、談話スペースで彼がスケッチブックを見せてくれた。
 そこには、夕焼けを背景に、小さく人が描かれていた。

「これは君。窓辺に立ってたから、描きたくなって」

 「……ありがとう」
 言葉が詰まって、喉の奥が痛くなった。

 彼の名前は凌(りょう)くん。
 私と同じように、何年も病気と闘っている。
 でも、彼は笑う。「まだちょっとだけ、生きていたいことがあるからさ」って。

 その“ちょっとだけ”が、私にはとても眩しかった。

 ある夜、眠れずに廊下を歩いていると、凌くんもソファに座っていた。

「……やっぱり、夜の方が、心が素直になるよね」

 そう言って、彼は静かに言葉を続けた。

「人ってさ、誰かの中に残れたとき、“生きてた”って思えるんだと思う」

 私は思わず訊いた。

「私は……誰かの中に、残れるのかな」

 凌くんは、笑った。

「俺がいるじゃん」

 その瞬間、涙が止まらなくなった。

 人に愛された記憶よりも、“残していい”って言ってもらえたあの言葉が、
 私を何度も救ってくれた。

 その後、私の体調は少しずつ回復に向かった。
 退院の話が出たとき、凌くんは照れくさそうに言った。

「じゃあ、退院祝い……デート、してくれない?」

 病室のデートは、病棟の裏手にある小さな庭。
 ベンチに並んで座って、コンビニで買ったリンゴジュースを飲んだ。

 手をつなぐと、彼の手は驚くほど冷たかった。

 でも、そこにはちゃんと「生きてる」温度があった。

 それが、私が初めて「生まれてきてよかった」って思った瞬間だった。

 ──凌くんは、その2ヶ月後、旅立った。

 最後にくれた手紙の最後に、こう書いてあった。

「君がこの先、誰を好きになっても、俺は絶対にやきもちなんか焼かないよ。
 だって、生きてる君が、一番美しいから。
 君が生きる限り、俺は君の中でずっと生きてる。ありがとう。出会ってくれて。」

 いま私は、元気に生きてる。
 まだ恋はしていないけど、
 凌くんが教えてくれた「生きてていい理由」を、毎日思い出しながら、誰かに優しくなれるように努力してる。

 世界が嫌いだった私に、
 「この世界にも、あなたがいた」と思える記憶をくれて、本当にありがとう。

 私、今日もちゃんと生きてるよ。