大学2年の夏、正直、何をするにもやる気が出なかった。
講義には行ってたけど、ただ出席してるだけ。
友達ともつかず離れずの距離で、
気づけば、家と学校とコンビニしか行かない日々が続いていた。
「そろそろ何かしなきゃな」と思って始めたのが、近所のカフェのバイトだった。
特別な動機があったわけじゃない。ただ、「バイト経験くらいはないとまずいかな」っていう程度。
履歴書の志望動機も、正直なところ適当に書いた。
研修初日。
「今日から入る〇〇くん? よろしくね」
そう声をかけてくれたのが、佐倉さんだった。
歳は一つ上。大学3年。
笑顔が自然で、声も落ち着いていて、
同い年とは思えないくらい大人っぽい人だった。
「覚えること多いけど、焦らなくていいからね」
そう言って、わざわざ自分のシフトの前に来て教えてくれたり、
休憩中にジュースを差し入れてくれたり。
最初は「先輩として優しい人」ってだけだったけど、
少しずつ、自分の中で佐倉さんの存在が気になってきた。
その理由の一つが、ある日の何気ない会話だった。
「〇〇くん、普段何してるの? 大学以外で」
「うーん、特に…なんとなく、日々が過ぎてる感じですね」
「そっか。でも、ちゃんとバイト始めたじゃん。偉いじゃん」
それだけだったんだけど、“偉い”って言われたの、
大学入ってから初めてだった。
誰にも気づかれずに過ごしてた日々の中で、
自分の“選んだこと”を認めてくれた人がいたってことが、すごく嬉しかった。
それから、バイトの日は少しだけ気合を入れるようになった。
制服のシャツにアイロンをかけたり、出勤前に髪を整えたり。
佐倉さんと話す時間が楽しみで仕方なかった。
バイト後、偶然ふたりとも上がりが同じになったある夜。
「お腹すかない? ごはん行かない?」と誘われて、近くの定食屋に入った。
いつもより少し砕けたトーンで話す佐倉さんに、
こっちも自然と本音をこぼすようになってた。
「最近、ようやくちゃんと生活してる感じします」
「ふふ、よかったじゃん。それ、〇〇くんが頑張ってる証拠だよ」
ふとした間に、彼女が「ねえ」と言った。
「私さ、ちょっと〇〇くんのこと気になってるかも」
言葉が一瞬、頭に入ってこなかった。
「え…今、なんて…?」
「聞こえてたでしょ。ちゃんと答えて」
彼女は冗談みたいに笑ってたけど、
目はまっすぐこっちを見てた。
「俺も…佐倉さんのこと、すごく…気になってます。っていうか、たぶん…好きです」
声が震えた。でも、それが今の俺の本気だった。
その帰り道、駅の階段のところで、
「手、つないで帰る?」って彼女が小さな声で聞いた。
うなずいた瞬間、手を伸ばしてくれて、
そのぬくもりに驚いた。
細くて華奢な手だったけど、
なんだか、心ごと包み込まれるような安心感があった。
キスはその後、2回目のデートのときだった。
「もう少し近づいてもいい?」って彼女が笑いながら言ってくれて、
そっと顔を寄せた。
それ以上のことはしてない。
でも、触れた瞬間のやわらかさと、
彼女の髪からふわっと香った甘い匂いが、ずっと忘れられない。
あの頃、無気力で曖昧だった自分に、
色をつけてくれたのは彼女だった。
「〇〇くんは、もっといい顔するようになったね」って、
付き合って3ヶ月目に言ってくれた言葉を、今でもふと思い出す。
何かを始めるのに遅すぎることはないって、
あの夏、彼女に教えてもらった。
今でも、あのカフェの前を通るたび、
少しだけ初心に戻れる気がする。
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