大学の先輩の紹介で、シェアハウスの住人になった。
と言っても、3人とか4人とかじゃない。2人きり。しかも男女。
自分でも、なにしてんだろって思った。
当時、私は彼氏と別れたばかりで、家賃も浮かせたくて、でもひとり暮らしに戻る気力がなくて。紹介してくれた先輩が「アイツ、マジで何もしてこないし安心だよ」って言ったのを信じて、なかば逃げるように引っ越してきた。
その“アイツ”ってのが、篠原。
30歳。フリーのデザイナーで、在宅が多くて、昼間でもパジャマみたいな服着てた。口数少なめ、でも目が合うとちゃんと挨拶する人。
第一印象は、「干してある洗濯物が妙にきれいに畳まれてて、なんか負けた気がした」だった。
生活は、意外と快適だった。
お風呂とトイレは共用、キッチンは半分ずつ使うってルール。夜の時間帯が被らないように、自然と生活リズムもズレてきた。
ただ、たまに深夜2時とかに、リビングでばったり会う。
「…あ、ごめん。仕事してた?」
「いや、今ちょうど終わったとこ」
そんな感じで、たまにソファでお茶飲みながら話すようになった。
映画の話、料理の話、元カレ元カノの愚痴、くだらない深夜テンションの話。
距離が近くて、でも不思議とドキドキとかはなかった。むしろ、妙な安心感があった。
でも──
ある日、私が仕事でしくじって、泣きながら帰ってきた夜。
コンビニ袋抱えて玄関入ったら、部屋の電気がついてて、篠原がラフなTシャツ姿で冷蔵庫を漁ってた。
目が合った瞬間、涙が溢れてきた。
「どうした?」
一言、そう聞かれただけで、涙が止まらなくなった。
そのまま、玄関にしゃがみこんで泣いた。
「ちょっと待ってろ」
5分後、ホットココアを出してきて、ティッシュと、謎に買ってあったチーズケーキも出してくれた。
「なんでこんなに優しいんですか」
「いや、同居人だし」
「……それ、ずるいな」
その夜、何もなかったけど、私は少しだけ、彼のことが気になりはじめた。
それから少しずつ、気になる回数が増えた。
朝、歯磨きしてる横顔。
リモート会議で真面目な顔してるとき。
料理してるときの後ろ姿。
別に、好きってわけじゃない。
けど、たとえばコンビニでつい彼の分まで買っちゃったり、洗剤が切れてると「あ、買っておかないと」って思ったり。
“生活”の中に、彼が普通にいることが、当たり前になっていった。
ある夜、私がキッチンで餃子を焼いていたら、篠原が帰ってきた。
「今日、遅かったですね」
「うん。打ち合わせ、伸びてさ」
「餃子、余ったんで食べます?」
「食べる」
何気ないやりとり。でも、私はちょっと緊張してた。
2人で食卓に並んで、テレビつけながら食べる餃子。
途中で、彼がぽつんと言った。
「こんな生活、もう1年か」
「…うん、ですね」
「俺さ、今すごく居心地よくて。このままずっとでもいいって思っちゃってるんだけど、それって甘えすぎかな」
返事に迷った。
でも、素直な気持ちを言ってみた。
「甘えじゃないと思います。私も、すごく居心地いいです」
沈黙が少しだけ流れたあと、彼が言った。
「じゃあ、ちょっとだけ、前に進んでいい?」
その言葉と一緒に、彼が私の手を取った。
ぬくもりがあって、やさしくて、でもちゃんとドキドキして。
それから、少しずつ“恋人”になった。
いきなりキスするとか、そういうのじゃなくて、もっと穏やかに。
一緒にいる時間が、今までより少し特別になるくらいの、そんな距離感。
家に帰ってきて、「ただいま」って言うと、「おかえり」が返ってくる。
それが、毎日じわじわと、幸せをくれる。
あのとき、「何もしてこない」って言われた篠原くん。
ほんとはめちゃくちゃ優しい人で、ちょっと不器用で、でも一緒にいると安心できる人だった。
恋って、始まるときに気づかないんだな。
私は今日も、彼と同じ屋根の下で目を覚ます。
恋人未満から始まった、ちょっと不思議な共同生活。
たぶんこの先、もう“他人”には戻れない。
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