あの頃の私は、教室にいるのがつらくて仕方なかった。
理由は些細なこと。私がちょっと変わった文房具を持っていたことがきっかけだった。
最初はクスクス笑い声から始まって、無視、陰口、机に書かれた落書き。
毎朝、学校へ行くのが怖くて、家の玄関で何度も立ち止まっては、深呼吸していた。
先生にも言えなかった。
親にも心配かけたくなくて、言葉を飲み込んでいた。
そんなある日、上履きが隠されていた。
教室の隅でうずくまっていた私に、「それ、探してる?」と声をかけてきたのが、川島くんだった。
クラスでも目立つ存在ではなかったけれど、スポーツが得意で、どこか静かな優しさを持っている人。
私とは特に接点もなかったのに、彼は私の上履きをそっと差し出してくれた。
「こんなこと、するやつのほうがダサいよな」
その一言が、すごくあたたかくて、涙が止まらなかった。
それからも、いじめは完全にはなくならなかったけれど、彼がそばにいてくれると、教室が少しだけ居場所になるような気がした。
廊下ですれ違うと「大丈夫?」って目で合図してくれたり、グループ活動ではさりげなく一緒になってくれたり。
私が勇気を出して保健室登校を始めたときも、彼はノートを届けにきてくれた。
「先生に頼まれたから」と言いつつ、ドアの前で立ち尽くしていた私に、
「行きたくなかったら無理すんな。でも、逃げたわけじゃないよ」って言ってくれた。
たぶん、その瞬間、私は彼のことが好きになった。
“助けてくれたから”じゃない。“私をちゃんと見てくれた”からだった。
ある日、放課後の昇降口で、彼が私に声をかけてきた。
「最近、ちょっと元気戻ってきたなって思ってさ」
私は「うん」とだけ答えて、でもその言葉が嬉しくて、頬が緩んだのを自分でわかった。
「さ、帰ろうぜ」
自然と並んで歩いた帰り道。西日が長く影を伸ばしていて、彼と私の足音だけが静かに響いていた。
「なんで、助けてくれたの?」って、ふと聞いた。
彼はちょっと黙ってから、「んー…別に理由なんてないよ。ただ、見ててつらかったから」って。
その言葉が、たまらなく優しくて。
誰かにそんなふうに思われたことがなかった私は、心が温かくなるのを感じた。
その日、別れ際に、彼がふいに言った。
「俺、今の◯◯が好きだな」
ドキッとした。
すごく、すごく不意打ちで、胸がぎゅっとなった。
「え、あの……」
しどろもどろになる私を見て、彼はふっと笑った。
「返事は今じゃなくていい。友達でも全然いいし。
でも、ちゃんと言いたかったんだ。俺、ずっと応援してるから」
彼がくれたのは、恋の告白だったけど、それ以上に「誰かに肯定された」っていう、人生で初めての体験だった。
その日から、私は少しずつ変わっていった。
保健室ではなく教室に戻る日が増えて、笑える時間も増えていった。
いじめは完全になくなったわけじゃないけれど、それでも私はもう、自分を隠さなくてよくなった。
あれから、もう何年も経った。
今でも、ふとした瞬間に思い出す。
あの昇降口の空気、彼のまっすぐな言葉、隣を歩いた帰り道。
あの頃の私にとって、彼は“ヒーロー”だった。
でも、彼自身はきっとそんなつもりじゃなくて、ただ一人の人間として、私に手を差し伸べてくれた。
今なら、ちゃんと言える。
「ありがとう。あのとき、そばにいてくれて本当にありがとう」って。
誰かを好きになるって、必ずしも幸せな時間だけじゃない。
でも、誰かの存在が人生を救ってくれることもある。
それが、私にとっての“初恋”だった。