私の日常は、白い壁と消毒液の匂いに包まれていた。
私は、この病院に入院している患者。そして彼は、私の担当医。歳は私より少し上で、いつも冷静で、患者や看護師からの信頼も厚い。彼の名前を呼ぶ時、私の心臓はいつもドクンと小さく鳴った。
最初は、ただの診察だった。彼の口から出る病状の説明は、いつも的確で、不安な私を安心させてくれた。彼の優しい眼差しが、私の病室に来るたびに、まるで暗い部屋に光が差し込むように感じられた。
でも、ある日、彼の、いつもと違う一面を見てしまった。
深夜、私が眠れずにいると、彼は病室にやってきた。手に持っていたのは、診察に必要なカルテではなく、温かいココアだった。
「眠れないんですか?」
彼の声は、いつもより少し低くて、夜の静けさに響いた。彼は、私のベッドの横に座って、ココアを私に手渡してくれた。
「…大丈夫ですよ。僕がいますから」
彼の言葉と、温かいココアが、私の心を温かく満たしていく。彼の白衣が、私の腕にかすかに触れた。彼の体温が、私の肌に伝わってきて、私の心臓は、さらに強く脈打った。この瞬間、彼のことを「先生」としてではなく、一人の男性として意識してしまったんだ。
それから、私たちの間には、誰も知らない、秘密の時間が生まれた。深夜の病室。彼は、診察とは関係のない、たわいもない話をしてくれるようになった。彼の優しさ、彼の笑顔、彼の声。すべてが、私の心を掴んで離さない。
でも、私たちは知っていた。この関係が、許されないものだと。彼は、命を預かる医師。私は、彼の患者。私たちの間には、倫理という、分厚い壁が立ちはだかっていた。
ある日、彼の指が、私の点滴の跡にそっと触れた。
「早く元気になってほしい。そして、病室ではない、どこか遠い場所で、あなたに会いたい」
彼の言葉は、震えていた。彼の顔には、責任と、愛の葛藤が混ざったような、複雑な表情が浮かんでいた。彼の瞳は、私に「愛している」と語りかけているようだったけれど、彼の理性は、「触れるな」と彼自身を戒めているようだった。
私が、彼の手に、自分の手をそっと重ねた。彼の掌は、私より少し大きくて、温かかった。私の指が、彼の指の節にゆっくりと絡んで、そして、彼の温かい手を握りしめた。彼の温もりが、私の手のひら全体にじんわりと伝わってきて、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
彼の温かい手の感触。それは、私にとっての救いであり、同時に、私たちを苦しめる禁断の証だった。白衣の下に隠された、彼の熱い想い。私は、彼の優しさに触れるたびに、このまま、この秘密の関係がずっと続けばいいと願ってしまう。
彼の優しさが、私の病気を治してくれる。でも、彼の愛が、私と彼の日常を壊してしまうかもしれない。私たちは、白い病室の中で、誰にも言えない、切ない愛を育んでいた。
