私の初恋は、高校の放課後、彼が部活に向かう、少し猫背な後ろ姿だった。
彼は、クラスの誰よりも優しくて、いつも静かに、でも、人の痛みに寄り添うような人だった。一度、私が転んで怪我をした時、何も言わずに絆創膏を差し出してくれた彼の指先は、不器用で、でもとても温かかった。彼の優しい笑顔を見るたびに、私の胸は淡い恋心でいっぱいになった。卒業して、彼がどこへ行ったのかも分からなかった。私の初恋は、甘酸っぱい思い出として、心の奥にしまわれていた。
それから何年もの月日が流れて、私は普通の毎日を送っていた。まさか、彼と再会する日が来るなんて、夢にも思っていなかったんだ。
その日は、夕方から雨が降っていた。私は、会社の近くのカフェで、雨宿りをしていた。窓の外をぼんやりと眺めていると、見慣れた横顔が目に飛び込んできた。
はっと息を飲んだ。彼だった。
雨に濡れた彼の黒いスーツは、ひどく冷たそうに見えた。彼の顔には、あの頃にはなかった、厳しい表情が浮かんでいたけれど、その瞳は、あの頃と変わらない、優しい瞳だった。彼の腕には、派手なタトゥーが彫られていた。私の心臓は、ドクンと大きく鳴った。まさか、そんなはずはない。でも、彼は、間違いなく、あの時の彼だった。
私は、彼の隣に、恐る恐る近寄った。
「…ユウキくん?」
私の震える声に、彼がゆっくりと振り返った。彼の顔に、驚きと、そして少しだけ懐かしさが混じったような表情が浮かんだ。
「…〇〇?」
彼の声は、あの頃より少し低くなっていたけれど、その響きは、私の記憶の中の彼と寸分違わなかった。彼の口から、自分の名前が出ただけで、私の心は、あの頃のように、胸がキュンと締め付けられた。
彼は、何も言わずに、ただ私をじっと見つめていた。雨の音が、二人の間を埋めるように響く。彼の体に染み付いた、タバコと、少しだけ甘い香水の匂いが、私を包み込んだ。それは、あの頃の彼とは違う、危険な匂いだった。
「俺に、声をかけない方がいい」
彼がそう言った時、彼の声は、あの頃の優しい声ではなかった。それは、私の心を突き刺すような、冷たい声だった。彼の指が、私の頬にそっと触れた。彼の指先は、ひどく冷たかったけれど、そこから伝わる温かさが、私の心を溶かしていく。
「…変わっちゃったね」
私がそう言うと、彼は何も言わずに、ただ私の手を取った。彼の掌は、あの頃よりも少し大きくて、指の節がごつごつしていた。でも、その温もりは、私の記憶の中の温かさと全く同じだった。彼の指が、私の指の隙間にゆっくりと絡んで、そして、強く、ぎゅっと握りしめてくれた。
「…何も、変わってない」
彼の声は、夕焼けの空の下で、優しく、そして力強く響いた。
彼の温もりと、あの頃と変わらない優しい瞳。それは、私にとっての救いだった。でも、彼の腕に彫られたタトゥーが、この恋が、許されないものだと私に語りかけてくる。
再会した初恋の相手は、もうあの頃の優しい彼ではなかった。でも、それでも、私は彼を愛してしまう。彼の温かい手が、私を、あの日の優しい記憶に、そして、誰も知らない危険な道へと、連れ去っていく。私の心は、彼を愛する気持ちと、彼を恐れる気持ちの間で、引き裂かれそうになっていた。
