彼には、誰もが気づく、深い傷があった。
彼の右目の上から頬にかけて、大きく残るその傷は、まるで彼が、この世界から自分を隔てるための境界線のようだった。彼はいつも無表情で、誰とも目を合わせない。周りの人も、彼のことを遠巻きに見ている。私は、彼と同じ職場にいるけれど、正直、彼がどんな人なのか、全く知らなかった。ただ、彼の孤独な瞳が、いつも私を惹きつけていた。
ある日、私が仕事で大きなミスをして、一人で残業をしていた時、彼が私の隣にやってきた。私は、彼のただならぬ雰囲気に、少し緊張した。彼は何も言わずに、私のパソコンの画面を覗き込んだ。そして、私のミスに、彼の指がそっと触れた。
彼の指先は、少し冷たかったけれど、その指から伝わる温かさが、私の心を落ち着かせてくれる。彼の指は、私のパソコンの画面を、迷いなく滑っていく。彼は、一言も話さずに、私のミスを、完璧に直してくれた。
「…ありがとう」
私がそう言うと、彼は何も言わずに、ただ私のほうを向いて、少しだけ、本当に少しだけ、口元を緩めた。彼の顔の傷は、彼の表情を、読み取りにくくしていたけれど、彼の瞳は、私に「大丈夫だ」と語りかけてくれているようだった。
それから、私は彼と話すようになった。彼は、見た目とは裏腹に、とても優しくて、そして、驚くほど繊細な心の持ち主だった。彼の顔の傷について、私は一度も聞かなかった。でも、彼と話すたびに、私は、彼の心の奥にある、深い孤独を感じることができた。彼のクールな態度は、自分を守るための鎧だったんだと、その時、私は理解した。
ある夜、私たちが二人で、会社帰りにカフェにいた時、彼は、自分の顔の傷に、そっと触れた。
「…この傷、嫌いだろ?」
彼の声は、少しだけ震えていた。私は、何も言えなくて、ただ、彼の目を見つめた。
「俺は、この傷のせいで、誰にも心を開けない。誰からも、愛されないんだと、ずっと思ってた」
彼の言葉に、私の心は、ぎゅっと締め付けられた。私は、彼の顔の傷に、そっと指を伸ばした。私の指先が、彼の頬の傷に触れる。彼の体温が、私の指にじんわりと伝わってくる。
「…私は、あなたの傷も、愛してる」
私の言葉に、彼は驚いたように目を見開いた。そして、私の手を、優しく、そして、しっかりと掴んでくれた。彼の掌は、温かかった。彼の温かさが、私の手のひら全体にじんわりと伝わってきて、胸の奥がキュンと締め付けられた。
彼は、私の手を握りしめたまま、何も言わずに、ただ私をじっと見つめていた。彼の瞳は、もう孤独ではなかった。そこには、私の姿が映っていた。
顔に傷を持つクールな彼との恋は、私に、愛とは、見た目ではないということを教えてくれた。彼の傷も、彼の優しさも、彼の孤独も、全部が、彼という人間を形作っている。私は、彼の心の壁を壊し、彼の心の奥にある、本当の彼を愛することができた。彼の温かい手の感触が、私を、世界で一番幸せな女性にしてくれた。
