初めてのデートの日、朝から心臓がずっと喉元で跳ねていた。今日の待ち合わせは、駅前の大きな時計台の下。制服じゃない私服で彼に会うのは初めてだから、どんな服にしようか、鏡の前で何度も着替えた。結局、お気に入りの白いワンピースに、淡いピンクのカーディガン。足元は、ちょっとだけヒールのあるサンダルにした。少しでも背が高く見せたかったんだ。
待ち合わせの10分前にはもう時計台の下に着いていて、ソワソワしながら彼を待った。周りの人がみんな彼に見えて、そのたびに胸が高鳴る。まだかな、まだかなって、時計ばかり見てた。
「ごめん、待った?」
聞き慣れたはずの声なのに、今日の彼の声は、なんだか特別に甘く聞こえた。振り向くと、そこに彼が立っていた。いつもの制服姿とは違う、ちょっと大人っぽいシャツを着ていて、私の目には眩しく映った。彼が私を見つけて、少し照れたように笑ったのが、すごく可愛かった。その笑顔を見た途端、私の心臓はさらに大きくドクドクと鳴り出した。
「ううん、今来たとこ!」
本当は、ずっと前から待ってたなんて言えない。私たちは、映画を見て、カフェでおしゃべりをして、あっという間に時間が過ぎていった。映画の間も、横に彼がいるってだけで、ストーリーが全然頭に入ってこなかったし、カフェでは、彼が笑うたびに、私の頬は熱くなった。
夕暮れ時、私たちは並んで駅まで歩いていた。日が傾いて、オレンジ色の光が街を染めていく。私たちの間に、会話はなくても、心地よい沈黙が流れていた。彼の隣を歩くたびに、彼の腕が私に当たるのが、なぜかドキドキして仕方ない。あと数センチ、あと数センチ近づいたら、手が触れるのに…。そんなことを考えてたら、心臓の音がうるさくて、彼に聞こえちゃうんじゃないかって焦った。
その時、彼の指が、私の指にかすかに触れた。
まるで、優しく波が打ち寄せるみたいに、彼の指が私の指に触れて、離れて、また触れる。その度に、私の心臓がギュッと掴まれるような感覚になった。どうしよう、どうしようって、頭の中はパニックなのに、彼の指の動きから目が離せない。そして、次の瞬間、彼の温かくて少しゴツゴツした指が、私の指に絡んだ。
ヒュッと、息を飲む音が聞こえた。それは、私が出した音だったかもしれない。彼の指が、私の指の隙間にゆっくりと滑り込んできて、そして、しっかりと私の手を握りしめた。彼の掌の温かさが、私の手のひら全体にじんわりと伝わってくる。その温かさが、まるで私の心を溶かしていくみたいだった。手のひらから、腕を通って、体の奥底まで温かさが広がる。彼の指の感触、掌の筋肉の感触、そして彼の体温。全部が私に、彼がここにいるってことを教えてくれた。
「…冷たい手してるね」
彼が少しだけ笑って、握った手をぎゅっと強く握り直した。私の手は、緊張で汗ばんでいたはずなのに、彼の手の温もりで、むしろ冷たく感じられたのかもしれない。彼の声も、握られた手の感触も、すべてが私を包み込んで、世界が彼と私だけのものになったようだった。
駅に着いて、改札の前で私たちは立ち止まった。もう別れる時間だ。もっと一緒にいたかった。そんな寂しさが、胸の奥に広がっていく。
「今日は、ありがとう」
私がそう言うと、彼は何も言わずに、ただ私をじっと見つめた。夕焼けが、彼の顔を赤く染めている。彼の目が、私の唇に吸い寄せられるように、ゆっくりと近づいてくる。私の心臓は、もうすでに喉元から飛び出しそうだった。
彼の吐息が、私の唇にかかる。甘くて、少しだけ柑橘系の香りがした。そして、柔らかいものが、私の唇に触れた。
ふわりと、彼の唇が私の唇に重なる。それは、想像していたよりもずっと優しくて、温かくて、そして、甘かった。彼の唇の柔らかさ、その温かさ、彼の息遣い。全てが私を包み込んで、私の体から力が抜けていく。初めてのキス。私の全身が、まるで彼に溶けていくみたいだった。目を閉じると、彼の唇の感触だけが、私の意識を支配した。
一瞬の出来事だったけれど、それは永遠にも感じられるくらい、長くて甘い時間だった。唇が離れても、まだ彼の温かさが残っている。私は、呆然と立ち尽くしていた。
「またね」
彼が優しくそう言って、私の頭をポンと撫でた。私は何も言えなくて、ただ小さく頷くことしかできなかった。彼が改札を抜けていく後ろ姿を見送って、私はその場に立ち尽くした。
まだ、唇に彼の温もりが残っている。そして、手には、彼が握ってくれた感触が残っている。初めてのデートで、初めて手をつないで、初めてのキス。この日の出来事は、私の人生で一番、甘くて、ドキドキして、忘れられない思い出になった。彼の温もりを知ってしまった私は、もう、彼なしの日常には戻れない気がした。