あと5日で、世界が終わるなら。

─男(34歳)バツイチ、元妻と5年ぶりに連絡を取る─
第1章:別れた理由を、忘れるまで

ニュース速報は、いつものようにテレビの右上に現れた。
そして、それが“いつもの”じゃないことを、すぐに理解した。

『直径12kmの小惑星が、5日後に地球に衝突します』
『衝突の回避手段はありません』
『日本時間で、○月○日 午後2時、最期を迎えると予測されています』

言葉は冷静だったけど、世界は静かに終わることを知っていた。

その日の夜。
彼は元妻に電話をかけた。

5年ぶりだった。
離婚のとき以来、連絡は一度もなかった。
番号が変わっていなかったことが、奇跡みたいだった。

「……もしもし?」

懐かしい声が受話器の向こうからこぼれる。
その瞬間、言葉が詰まった。

「……地球が、あと5日で終わるらしい」

「……うん。知ってる」

「……会えないかな」
そう言った自分の声が、思った以上に震えていた。

しばらくの沈黙のあと、
彼女が、ふっと笑った。

「5年も放っておいて、終わるから会いたいって、ずるいね」

「……ごめん。でも、本当に、最後になるかもしれないから」

「うん、わかってる。……会おう」

駅前のカフェ。
何度も二人で通った店だった。

姿を見つけた瞬間、
彼は時間が巻き戻った気がした。

「変わってないね」

「あなたも」

でも、変わっていた。
指には、指輪はなかった。
けれど、もうそこに指を絡める資格も、たぶんなかった。

「……なんで、あのとき別れたんだっけ?」

彼がふとこぼす。

彼女は、少し笑ってから答えた。

「たぶん、忙しさとすれ違いと、ちょっとした意地と……ほんの少しの勇気不足」

「……そんなことで、終わってたんだ」

「うん。人生って、案外あっけないよね。終わりも、始まりも」

その夜、ふたりは黙って歩いた。
帰り道、彼は思わず手を差し出した。

彼女は、少し戸惑ったあと、その手を握った。

まるで、時間を越えて、
あの頃の自分たちが“もう一度やり直していい”と許してくれたような、
そんな気がした。

「あと4日だね」

「……うん」

でも今日だけは、
“また始まった恋”のような一日だった。

第2章:もう、名前で呼んでもいい?

世界が終わるまで、あと4日。

昨日の夜、ふたりは別れ際に「また明日」と言った。
それが本当に叶うなんて、どちらも少しだけ疑っていた。

でも朝、彼が駅前のベンチに座っていると、
彼女は、息を切らしながらやってきた。

「……待った?」

「いや、今来たところ」

そんな会話が、やけに嬉しかった。

今日はどこへ行く、という予定もなかった。

ふたりはそのまま、街を歩いた。
昔、一緒に住んでいたマンションの近くまで来てしまって、
彼女がぽつりと言った。

「ここに、私たち、住んでたんだよね」

「うん……懐かしいな」

「……ねえ、もうさ、名前で呼んでもいい?」

彼は立ち止まった。

「昔みたいに、“あなた”とか“あんた”じゃなくて、
 ……呼びたいの。最後の日までには、きっと言えなくなる気がするから」

彼は少しだけ微笑んで、
彼女の名前を、静かに呼んだ。

それは、5年前に最後に呼んだその声と、
どこか違って聞こえた。

「……ありがとう」

そう言った彼女の声が、少し震えていた。

その日は、ふたりで少し遠くの海まで出かけた。

風が強かったけど、太陽は穏やかだった。

砂浜で座って、靴を脱いで、足を砂に埋めてみたり。
彼女が笑って、彼も笑って、
本当に、世界が終わるなんて嘘みたいだった。

「あと3日だね」

「うん」

「……今日みたいな日は、きっと忘れないね」

「忘れたくないよ」

海を見つめる彼女の横顔は、
昔より少し大人びていて、でもどこか、泣きそうで。

呼び慣れていたはずの名前が、
今は宝物みたいに、喉の奥で大切に揺れていた。

第3章:きみに触れたいと、願ってしまった夜

世界が終わるまで、あと3日。

昼過ぎ、ふたりは駅前の映画館で待ち合わせをした。
選んだのは、昔ふたりで観た、何でもないラブコメの再上映。

館内はまばらだったけど、
カップルや家族連れが、どこかぎこちなく寄り添っていた。

「こんな映画だったっけ?」

「うん、こんな感じだった気がする。
 でも……前より、ちょっと泣けた」

「それは……年取ったから?」

彼女がくすっと笑った。
彼も笑った。
でも、どちらも少しだけ、泣きそうだった。

その夜、彼の部屋で、ふたりは向かい合って座った。

「泊まっていってもいい?」

彼女の言葉は、唐突だった。
でも、拒む理由なんてなかった。

コンビニで買ってきたカップ麺を並べて、
テレビの音を小さく流して、
ふたりは何度も顔を見合わせた。

「ねえ」

彼女が言う。

「私たち、やっぱり、
 あのとき、別れるべきじゃなかったのかもね」

「……そうかもしれない」

「今でも、触れたいって思うよ。
 ……でも、こわいよね、また壊れそうで」

彼は、そっと彼女の手を取った。
この三日間で、三度目の手だった。
でも今回は、今までよりずっと深く、長く、あたたかかった。

「壊れてもいいよ。
 ……だって、世界も一緒に壊れるんだから」

彼女は、涙をこらえるように笑った。

「バカだね……ほんと、バカだね」

「うん。でも、ちゃんと願ってる。
 きみに触れたいって、心から思ってる」

そしてふたりは、静かに灯りを落とした。
一度終わった関係が、
終末に向かって、あたたかく再生し始めていた。

第4章:朝が来るのが、こんなに惜しいなんて

世界が終わるまで、あと2日。

カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めたとき、
彼はすぐ横にいる彼女の寝息に、静かに息を呑んだ。

どこか無防備で、安心していて、
それがすごく、愛おしかった。

“こんな朝が、あと何回あるんだろう”

考えてしまった瞬間、
現実がゆっくりと胸に迫ってきた。

彼女が目を覚ましたのは、午前8時。

「……おはよう」

「うん、おはよう」

ふたりの間に漂うぬくもりは、
過去のものでも、未来のものでもなく、
ただ、“今ここにあるもの”だった。

「もう朝なんだね……」

「……朝が来るのが、こんなに惜しいって、思ったことなかった」

「わかる……夢だったら、もうちょっと見てたかった」

その日は、どこへも出かけなかった。
コンビニでごはんを買って、テレビをつけて、
一緒にソファで眠ったり、昔の話をしたりして。

「前はさ、こんなふうに何もしない日って、
 無駄だと思ってた」

「うん。でも今は、それが贅沢なんだよね」

夕方、日が落ちる頃、彼女が呟いた。

「明日で終わっちゃうね、全部」

「うん。……でも、今日みたいな日が過ごせてよかったって思ってる」

「……わたしも」

テレビでは、政府の発表や避難警告が続いていた。
でももう、誰も逃げようとはしていなかった。

夜。
ふたりはまた、同じ布団に入った。

心も、体も、距離がなくなっていた。

「最後の夜って、明日なんだよね……」

「うん、だから今は、まだ“終わり”じゃない」

彼の言葉に、彼女はうなずいて目を閉じた。

あと1日。
ふたりは、そのすべてを、
最後まで“愛しき日常”として過ごすことを選んだ。

最終章:世界が終わる午後2時、きみとここにいたかった

世界が終わるまで、あと1日。

目覚めた朝、窓の外は静かで、
いつもと変わらない青空が広がっていた。

ニュースでは繰り返し、「午後2時に地球は終わる」と伝えていた。

彼と彼女は、手を繋いでその報道を見ていた。
それは、映画でも小説でもなく、現実だった。

「……ねえ、どこにいたい? 最後の場所」

彼が尋ねた。

「どこでもいい。あなたがいれば」

彼女の言葉は、とても穏やかだった。

ふたりは歩いて、昔住んでいたマンションの屋上へ向かった。

鍵はもう使えなかったけど、管理人も誰も何も言わなかった。
世界が終わる日には、そんなことはどうでもよかった。

屋上には誰もいなかった。

遠くに見えるビルも街並みも、
すべてが光に包まれて、きれいだった。

「ねえ」

彼女が小さく言った。

「もう一度、抱きしめて」

言葉より先に、彼は彼女を抱き寄せた。
その体温は、5年前も、今日も、
変わらずにそこにあった。

「もし世界が終わらなかったら、どうしてた?」

「たぶん、また一緒に暮らしたかった。……あなたと」

「うん、わたしも」

腕の中で、彼女が小さく震えていた。

「こわいね」

「うん、こわい。でも、後悔してない」

「わたしも。……もう、何もいらないよ」

時計は、午後1時57分を指していた。

風が少しだけ強くなって、
空が、ほんの少しだけ、赤く染まりはじめていた。

「ありがとう」

「こっちこそ。……ほんとに、ありがとう」

午後2時。

ふたりは、ただ、しっかりと抱き合っていた。
世界の終わりの瞬間まで、
誰よりも近くに、愛していた人がいた。

それがすべてだった。

『あと5日で、世界が終わるなら。』
スピンオフ:夜が明ける前に、きみを知り尽くしたい

世界が終わるまで、あと12時間。

深夜1時。
彼と彼女は、灯りを落とした部屋の中で、静かに寄り添っていた。

言葉は、もういらなかった。
あと何度、息を重ねられるだろうか。
そんなことを考えたくないくらい、彼女の温度が愛おしかった。

「ねえ……」

彼女の指が、彼の胸をなぞる。
指先が震えているのは、冷えたせいじゃない。

「……こんな夜が、もう最後なんだよ」

彼は何も答えず、唇を彼女の額に落とした。

それは祈りのようで、涙のようで、
そして、欲望の入口だった。

やさしくキスを重ねるたびに、
ふたりの鼓動がひとつになっていく。

「もっと触れて……お願い……」

彼女がつぶやく。
その声はかすれて、甘く、壊れそうだった。

服を脱がせる手も、ほどける呼吸も、
まるで時間が止まったようだった。

ふたりの肌が重なったとき、
そこには5年ぶりの体温と、5日間で再燃した愛があった。

「苦しくない?」

「ううん……あなたじゃなきゃ、いやなの……」

彼の動きが深くなるたび、
彼女の声が漏れ、爪が彼の背中に刻まれる。

まるで、「わたしはここにいた」と証明するように。

終わる世界の中で、ふたりは何度も何度も、
名前を呼び、抱きしめ合い、
最期まで“生きて”いた。

「……愛してるよ」

「うん……わたしも……愛してる」

朝が来るのが、こんなに憎いなんて思わなかった。

でもそれでも、
“最期に抱きしめたい相手”がいたことが、
すべての救いだった。

あと5日で、世界が終わるなら。─男(34歳)バツイチ、元妻と5年ぶりに連絡を取る─