あれは、ほんの数年前の夏。
仕事で短期出張していた地方の町でのこと。1週間の滞在、ホテルと現場を往復するだけの、ただの業務。
でも、その3日目の夜にふらっと入った居酒屋で、彼女と出会った。
カウンターにひとりで座っていた彼女は、同じく出張中だったらしい。偶然隣になった席で、なんとなく会話が始まり、気づけば閉店まで話していた。
名前は「ミナミ」と名乗った。それだけだった。
「この町、何にもないけど空が広いよね」
彼女がそう言った瞬間の表情が、今でもはっきり思い出せる。
次の日も、また偶然同じ店で会って、自然と並んで座った。
話しているうちに、どこか似た孤独を抱えているのがわかった。
「誰かとちゃんと向き合うのって、正直ちょっと怖い」
ミナミは、ぽつんとそんなことを言った。
出張の間、会ったのはたった4日間。
ふたりで町を歩いたり、何でもない景色を写真に撮ったり。付き合っていたわけじゃない。キスさえしなかった。
でも、あの時間はたしかに心を動かしていた。
最終日、駅で別れるとき、彼女は笑ってこう言った。
「このまま連絡先、交換しない方がいいかもね。そっちの方が、ずっと特別な思い出になる気がするから」
名前だけを残して、ミナミは改札をくぐった。
それから何年経っても、あの数日間がふとした瞬間に蘇る。
似た香り、似た声、似た雰囲気の人を見かけるたびに、少し胸がざわつく。
ただの思い出じゃない。
でも現実でもなかったような、曖昧で、だからこそ色褪せない関係。
長く続いた関係じゃなくても、
一瞬の出会いが、一生の記憶になることもある。
むしろ、すぐ終わったからこそ、心に深く残ってしまうのかもしれない。